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Logo Mark連載記事

Logo Markなにか創るとうれしくてアートが心を動かすってどゆこと?

紫水勇太郎・清水 豊

株式会社4DT 代表取締役
株式会社ワークス 代表取締役
Spinart運営者
YouTube「うさぎのうみちゃんねる」のおじぃ
YouT...

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 アート系の表現物が人の心を動かすってどんな時なのかなと考えてみた…ものの、そもそも「心が動く」なんてことの定義が難しいなぁなんて、入り口でいきなり厚い壁を感じたりもしたんだけれども、よりシンプルに考えれば、その端緒としてその表現物に触れた人が、なにかを強く感じるということが必要になるんだろうなぁと思ったりして、じゃあまずは、この「強く感じる」ってどんなことなんだろうなぁということから考え始めようと思った次第。
 だって、まずはなにかをかなり強く感じないとそもそも記憶にさえ残らないんじゃないかなと思うし。記憶にさえ残らないような作品が心を動かすことなんてないようにも思うし…(だんだん声が小さくなっていくw)。

1. 共感

 まずはこれかなと。その表現物に触れた時、その表現物が持っているなんらかの要素とそれに触れた人自身が自分の中に持っている状況やら感情やら思い出やら等々とが結びついて、その表現物が自分以外の他者が作った作品ではなく、自分のものとして定着する…ということかなと。もしくは、自分の中にそういった状況や感情や思い出等々はないんだけれども、その表現物によって表現されている内容によってそれがものすごく想像できて、その上でそれに感情移入するということもありそうですね。これは、日常生活とはややかけ離れた設定をベースに持っている小説や映画なんかで多くありそうかなと。

 それではこの共感を呼ぶためにはどのような要素が必要でしょう。簡単なのは多くの人の中にありそうな状況や感情や思い出等々をより具体的に描いて見せるということかなと。
 この辺、例えば恋愛系のヒット曲を大量に産み出している方の歌詞なんかに参考事例が多そうですね。松任谷由美さんや西野カナさん等は、街のカフェ等で実際に他のお客さんの会話を聞いたり、自分の周辺にいる人の体験を取材して歌詞を書いたりしていたというのですから、とにかくそこにターゲットを当てて作る手法のいい見本かもしれません。
 逆に、そういうことまではしなそうなんですけど、自分の実体験の吐露が、実は多くの人にも同様の体験や思いがあってそこに結びついた例として、あいみょんさんや尾崎豊さんなんかがいるかなと思います。彼女たちの歌詞は、本当にプライベートな匂いをプンプンさせながらも実は多くの方が感じていたことで、それをさらにとっても素晴らしい手法で表現したことで共感に加え、代弁者としての結びつきをも産み出したという素晴らしい事例と思います。

 そっか…、こう考えると、単に目線を合わせる的なテーマ選定はあくまで入り口であって、それをインパクトある手法(歌詞の場合はキャッチコピー的なセンスを持った言葉としてということでしょうけど)で伝えるための卓越した技法も必要なんだなぁ。それはユーミンも西野カナさんも同じですね。
 その技法的な話の一部かもしれませんが、いかに想像できるレベルまで克明に描いて見せるかという点も重要と思います。この辺り、さだまさしさんや阿久悠さん等、本当に超すごい業師な方がたくさんいますけど、つまりある程度以上の分かりやすさも鍵になるようにも思います。まぁこの辺りは、その表現物のジャンルや共感して欲しいターゲットの想定によってもだいぶ異なるので一概には言えないかもしれませんが、シュールすぎてなんだかよく分からないというものよりは、瞬間で懐に飛び込むような分かりやすさはきっとハードルを下げることになるんだろうなぁなんて思ったりしますね。
 まぁ分かりやすければいいってことでもないとは思いますが、あくまで入口のハードルは下がるだろうなってことです。

2. 驚き

 感情にはいろいろありますけどおそらくこの「驚き」が残すインパクトはもっとも強いんじゃないかなと思います。その表現物に接した時に「お〜!」と驚いたら、きっとその表現物のことやその表現物に出逢った時点の思い出等は忘れられないものになるんじゃないかなと思います。
 では、人はどんなものに接すると驚くんでしょう。まぁこれも人にもよると思いますしいろいろなシチュエーションが考えられるとは思いますが、しかし多いパターンとしてはおそらくそれまでの人生で出逢ったことのようなものに出逢った時ということなんじゃないかなと思うんですが、いかがでしょう。

 では、人生で出逢ったことのないようなものってどんなもの?…ってことですね。技巧的にすごい、サイズ的にすごい(バカでかいとかめちゃくちゃミクロとか)、発想がすごい、物語やドラマ的にすごい…まだまだいろいろありそうですが、共通するのは規格外のすごさを持っているということかもしれません。つまり、いくら技巧的に高度でも「とんでもなく」でないと驚いてもらえるレベルにはいかない、ということかなと。おそらく前段としてそれが(どんな要素によるものであれ)とんでもないことによって、一旦理解不能な「なんじゃこりゃ」な状態になるということが必要なのかもとも思います。ああなるほど…、だから、既にあるもので驚いてもらうのは大変で、新しいもので驚いてもらう方がまだ可能性が高いと思えたりするのかも。だって、既にあるもので「なんじゃこりゃ」な状態を作るには、その道の偉大な先達を大きく凌駕する必要が出てきますもんね。それってけっこう大変かもと思います。逆に、まったく新しいものであれば、受け手にとってはそれ自体が出逢ったことのないものということになりますから、より可能性が高まる…ということかな。

 そう言えばこれは「なんじゃこりゃ」な事例ではありませんが、新しい知識によってもそれに驚くことがありますよね。これも、出逢ったことのないものということでは共通すると思いますが、より理性的な部分で与えられる驚きの一種かもと思います。

 さらに予期しないタイミングというのも一つの要素になるかもしれませんね。つまり受け手の心の準備がされていないところにハイ・インパクトのものを投じるとより強くその効果が現れるというか。そういう打ち込むタイミング的なものも重要で、かつ、その際はその直前の状況との変化の差がまた重要になる…そっかこれは時間軸の話なんだなぁ…そう考えると変化していくことを織り込んでいるアート…まぁ音楽や映像系がもっとも際たるものかもしれませんが、物語や俳句なんかでもそういった時間軸による変化はありますもんね…だとするとこれらの表現は四次元的なものだとも言えるかもしれませんねぇ…っと、これは話が逸れるからまた別の機会に。

 そうそう、時間軸と言えば、その事象との出逢いが初めてであることも重要ということになりそうです。例えば怖い映画を観たとして、初回は次になにが来るのか分からないからマジで怖いけれども、二度目はもう分かっているからさほどでもない…みたいな。おいしいものでもやはり初回のインパクトが強いんじゃないかなぁ。とすると、あまり多くのことを知らない若いうちの方がこのインパクトは強いのかもしれません…いや待てよ、そもそも引き出しがなければ目の前に起こっているそれがすごいのかどうかも分からないから意外と驚きもしないものなのか?…とすると、ある程度経験や知識が増えてから、それを超える体験するというタイミングが一番すごさを感じることができるのか?…そのピークはいつ頃だろう。これもその人の人生や生活の環境によって大きく異なるとは思いますが、多そうな層を考えれば10歳代後半から20歳代前半くらいが多いかも?…まぁいずれにしても歳を取ると驚きにくくなるということは言えそうな気はしますねぇ。

3. 憧れ

 これは、その表現物に触れた時、「いいなぁ」「かっこいいなぁ」「すごいなぁ」と思ったものがさらに進んで、「自分もああなれたらいいなぁ」にまで進んだ状態ということかなと思います。ですからこれは、「共感」の一部とも言えるかもしれません。まぁこの場合、「表現物」っていうくくりがちょっと変わってくるかもしれないなぁなんてことも思ってまして、つまり、表現物そのものに合わせて、表現している人にまで要素が広がってのこの感情になる、というような感じですかねぇ。

 いかがでしょう。思い当たることありませんか? 例えば女性が、とっても綺麗なモデルさんが着ている服を見て自分もああなりたいと思ってその服を買うとか…この場合の表現物は服ってことになるかと思いますが、それを着ているモデルさんまで含めて感じていることのようにも思います。
 あとは、とっても心に残る曲があって、自分もそういう曲が作りたいなと思った人が、まず同じようなフォーマットで作ってみるとか…。

 あ、そうするとなにか? 憧れっているのは、受け取った側がさらに踏み込んで自分の側でもやってみるというアクションにつながりやすいってことか…な? そう考えるとなかなか強い心の動きってことになりそうですねぇ。ここまで到達するために、その手前で、これまでに書いた共感や驚きといったステップを充分に踏んだ上で発生することのようにも思えてきます。

 このケースで思い浮かぶのは、例えば今は自分が表現者の側にいる人が、もともとは先達のフォロワーで、その真似をするところからスタートして、それがどんどん進んでいって今の自分のスタイルになった…なんていうお話でしょうか。これも音楽関係に多そうですね。役者さんなんかでもよく聞くかも。絵なんかでも、その対象の模倣から始まるということはよくあるでしょうねぇ。
 とにかくすごいな、かっこいいな…というような感情から始まったものが、自分もそうなりたいと思うという感情なのだろうと思います。

 ということは…これもやはりあまりに難解で分かりにくいものではなかなかこういう方向にはならないということ…なのか? でもなぁ…まぁこれは完全に自分の主観ですが、難解で分かりにくいものの方が、より多くの技巧や工夫によって構成されていることが多いように思ってまして、だからできれば、難解で分かりにくいものであったとしてもそれを知りたいと思うような欲求が働いて、そしてそういった一見よう分からん表現であってもそこになんらかの独自表現を確立できていることに驚いたり憧れたりしたいものだなぁと思ったりするんですけど…まぁ…きっと世間はそうじゃないんだろうななんてことも同時に思ってみたりして…。まぁ少なくとも自分は、そういったものに興味を持って、かつ疑問を持って答えを考えたりして、いつもできるわけではないけれどもできれば自分の中にその答えを見つけたいなんて思ってて、結果、もしそれがストンと落ちると、本当にすごいなぁ、かっこいいなぁ、自分でもそんなことがやれたらいいなぁ…なんて思うという次第。ま、本当に個人的な感覚のお話ですが。
 でもつまりこれはそのくらい強い感情なのだと言えるのではないかと思います。

4. 反発

 さてやってきました最大の曲者。それがこの「反発」です。
 反発って普通に考えればネガティヴなもので、たいていはこの感情を持ったらその対象を切り離したくなりますよね。だからこれがポジティヴな反応には結びつかないような気もします。でもね、これが不思議と記憶にはゴリゴリ残ったりするんですよねぇ。で、当初嫌なものなんだけれども、それについて思い出す度にだんだん自分との距離が近くなっていく…それも多くは無意識の内にです。自分的にはそんな風に思うんですよ。

 例えばなんだろうなぁ…これもホラー映画とかが近いかなぁ。自分的にはもう怖くて大嫌いなんですけど、これが目を逸らしてはいられないというか、分かってるのについつい見ちゃうんですね。で、その怖かった感じを伝えたくなっちゃったりして…この感覚、どういうことなんでしょうねぇ。
 だって、とてつもなく嫌いな表現に出くわした時とかにも、ついつい言いたくなりますもん。
「いやぁ〜今日〇〇観たんだけどさぁ〜、嫌いだったわぁ〜。」
みたいな。よかったものを言うなら分かるんですが、なんでよくなかった記憶を話したくなるんでしょうねぇ。
 そうそう、あるお店でご飯を食べたらとてつもなくまずかったとかね。思わず言っちゃいません? 今の時代ならよせばいいのについついSNSで書いちゃったりね…で燃えちゃうとw

 だから、なにも絶対いい感情を湧き起こさなければならないということでもないんですよね。反発する感情でも人はそれを記憶するしそれによって動いたりする…あ〜これが炎上商法ってやつかw…気づくのが遅いよ。

 ただしこれも、これほど多くの情報や事象にあふれているこの世の中では、少々のものではなんのインパクトも呼び起こさないようにも思います。しかし反面、とてつもないことをやってしまうと単に引かれて無視されてしまう。さらにひどくなると攻撃の対象になるし、まぁ最終的にはきっと全力でつぶしにかかられるんでしょうなぁ。今のネット社会の問題などを見ているとこんな流れが想像できたりします。とするとサジ加減が難しいなぁ…つかそんな加減をしているうちはインパクトのある表現になんて行き着けない気がする…ヤベぇグルグル回り始めてるぞ。

 とは言え確実に言えそうなことは、この感情から動く心やアクションがポジティヴな方向に反応する人というのは絶対数としてはきっと多くはないのだろうと思います。しかし深いかもしれない。狭くて深い真っ黒な穴にズブズブにハマっていくようなイメージが近いかもしれませんね。だからそれをあらかじめ想定した上でのプロモーション戦略等が肝心にはなりそうです。だってマスに対して広くプロモートしたって無駄になる部分がめちゃくちゃ多そうですもん。しかし絶対数が少ないから分母も欲しくなる。とすれば、より精緻なマーケをやって、いかに命中率を高めた状態で数多く狙撃するか…というような状態を作ることができればいい…あらハードルの高いこと。
 でもこれができれば、それ以外のマーケなんてお茶の子さいさいかもしれませんね。

 ということでまたまた長くなってしまったのでこの辺にしますが、おそらくこの辺りのお話は既に多くの方が研究しているはずで、これに関する分類やらその特徴云々についても、もっと多岐にわたってかつ詳細なものがあると思いますので、是非皆さんもこんなことに興味を持っていただきつつ、それぞれがさらに考察を進めていただければと思います…というか自分も実はこんなことをぶつぶつ考えている割にはそういう既出の書籍等はほぼ読んでなかったりして…なので、まぁその道におくわしい方にから見れば、なにを当たり前なことをと思われることと思いますが、自分もまだまだいろいろ考えていきたいとは思いますので、よろしければ温かい目で、いろいろお教えいただければ大変ありがたく思います。
 みなさんも是非、こんなことを考えつつ、自分が作っているものは一体どういうケースに近いのだろうなんてことも考えてみると、今後の作品づくりの方向性やその打ち出し方等を考える上で、きっと役に立つことも多いと思います。ま、本当にすごい人はそんなことも一切気にせずただただとんでもないものを作って見せてくれたりするんですけどねぇ…そういう人、むちゃくちゃ「憧れ」ますw

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※ちなみに写真は近所…とは言えないか…クルマで30分ほどのところにある公園の池で撮影したもの。
例によって撮影したのはもうだいぶ前だなぁ…桜が終わる頃の季節でした(それは見れば分かるってw)。
※使用カメラ&レンズ:Canon EOS 6D + EF24-70mm F2.8L II USM

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