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Logo Mark脳内伝言板atelier Shirasuna 完成! 3

白砂勝敏(Shirasuna Katsutoshi)

静岡県出身、造形家/演奏家。
農業高校造園科卒業、美術音楽共に独学。
美術家、演奏家、パーカッション、ディジュリドゥ、ムビラ奏者。

20代前半人...

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私は中学生位からバイクに興味があり、いつかガレージが欲しいと思っていた。30年後、気が付けばそれはガレージではなくアトリエという形になっていた。

多くの人が自分の「場所」を創るロマンというか理想があるのではないかと思う。私の場合もそれを具現化するために生きている様なところがあるのかもしれない。アートに出逢ってからは特にその気持ちが強くなっていった。それは単に「場所」だけではないという事にその頃は気が付いていた。場所、空間、状況、生活等、「総てにおいて制作の事だけを考えられる環境」が欲しかった。それはかなりハードルは高くなるのだけれど、作品制作同様で、手を抜くなら、やる意味がなくなってしまうという事はなんとなく感じていた。「総てにおいて制作の事だけを考えられる環境」を手に入れるには運や偶然性など予測不能な事が多いのだけれど、どういう形にせよ一つずつクリアーしていく必要があった。

これまで生きてきた事を振り返っても人生おおざっぱでも上手くいく時は上手くいくのだが、その分後になって足りないものに気付く事がある。丁寧にやっても下手を打つ時もある。だが丁寧にやった分後で補正が出来たり、その後の状況への対応が出来る事がある。限られた時間の中で生きているのでどちらも必要なのだろうが人生が過去の積み重ねで出来ていて、この先も続いている事を考えると出来る限り丁寧に生きて行きたいものである。

アトリエが出来たら満足なのかと思ったら、それは増殖していく。ここの部分はこうしたいとか、こういう作業したいからそれが可能な空間を創りたいとか…。作品制作とアトリエの増殖は常に同時進行で行われている。どちらも楽しい。結果的にはアトリエが作品みたいなものになっていく。それは今回の展覧会を開催したことで確信に変わってきた。もしかしたらご来場いただいたお客様の方が私よりもそういう事をより感じるのではないかという事も感じた。

ここにたどり着くまでを振り返ってみると、木彫刻は中々ハードルが高かった。木彫刻をするのは前にも述べた通り音の問題と埃の問題がついて回る。上記の農家さんにたどり着くまで3か所ぐらい移動を余儀なくされた。木彫刻だけをしたいのであればアトリエを作る事もまだ何とかしようがあるのかもしれないが私の場合、他の事もやりたいというわがままな思いがいつも付きまとい、中々腹を括り切れずにいた。

陶芸もまた道具や窯やらハードルが高い。それでもやりたくなると止められないのだが、陶芸に関しては月数千円で借りれる共同アトリエみたいなところが以前住んでいた目の前にあったのでそれに関しては恵まれていた。陶芸の特性上、窯焚きがあると何日も泊まり込みになるので、24時間いつでも作業が出来たし場所柄夜も結構な音を出しても大丈夫だった。ここはかなり使いやすかったが、基本的にカルチャースクール的な共同アトリエだったんで、なぜかなるべく目立たないように気を使って使っていた。多分間違っていなかったと思う。おかげで他の方からはまるで居ないもののように扱われていたがそれぐらいの方がやり易かった。

どちらが正しいとかそういう事ではないのだけれど、もの作りに限らず本気でやっている人と趣味的にやっている人とではかなりの温度差が発生し、意見も当然食い違う。私的にはそういった事で意見が食い違うのは面倒なので、なるべくそういう所へは触れずに出来る限り穏便にいきたいと考えていた。そういう事もあって作業は皆が帰った夕方から明け方までに集中して行っていた。

そんな感じで気が付けば作業場が自宅含め4か所になっていた。ただ忘れ物をすると一時間くらいかかってしまったりと移動時間が少しネックになっていった。次第に作業場が見たいというお客さんも増えてきた。結構大きいものを制作することが多かったので、畑の端っこで作ってますと言っても、みんな信じていない感じだった。
創作を続けていくうちに、色々な事が手狭になっていった。続けていくという事はやはり常にステップアップしていく事に繋がっているんだと今ならわかる。段々限界が近づいてくることを感じ、少しずつだが広くて安い場所を探し始めていった。

引っ越しを考え始めてからは、会う人会う人にどこか良い場所があったら連絡くださいと、お願いするようになった。1〜2年くらいたった時知り合いの作家から連絡をいただき、この地にご縁ができた。いつもギリギリ何とか間に合う感じの人生で、今回も本当にそんなタイミングでたどり着いた。

本当にアートで食べていくのは難しいことだと振り返っても感じる。あまりにも綱渡りの綱が細すぎて良くやっているなと時々恐ろしくなることもある。色々なことを試したり、思考したりと、制作ってとにかく時間がかかるので、なるべく出費を抑えて低空飛行でもいいから何とか飛び続けるようなイメージで生活をしている。

これに関連する話で、私には良く思う事がある。
「農家とアーチストが食べていけない国は問題なのではないだろうかと」
生きるための大元の食の自給率と創造力や根源的思考のアートがもう少し自給できるようになった方が本質的な豊かさに繋がるのではないだろうかと。

何はともあれ 大なり小なり困難はあるのだけれど、とても仕事がしやすく、日々を送っている。

atelier Shirasuna 完成! 【完】


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白砂勝敏(Shirasuna Katsutoshi)

静岡県出身、造形家/演奏家。
農業高校造園科卒業、美術音楽共に独学。
美術家、演奏家、パーカッション、ディジュリドゥ、ムビラ奏者。

20代前半人...

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