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Logo Mark連載小説・空虚な石(仮)1. 母(1)

スピナート文芸部

アーティストを支援するサイト「Spinart(スピナート)」が、小説系の文筆を志す方のコンテンツを、トライアル的に展開するのがこの「文芸部」。
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 父が荒れ出したのは先月、母が亡くなってからのことだった。荒れると言ってももともと大人しい父のことだ。それほど酷いものではない。せいぜい、大して呑めもしない酒を毎晩のように呑み、その度になにやらぐだをまいてはリビングのソファで寝てしまう。夫婦の寝室は2階にあったから、そこまで連れて行くのは容易ではなく、最近はリビングから5段ほどの階段でつながった中2階状になっている小さな和室に布団を敷いてそこで寝かせることにしている。
 困るのは仕事にちゃんと行かなくなったことだ。父はそれまでむしろかなり真面目な人だった。毎日きちんと仕事に行き、いつも遅くなって帰ってくる。それも呑んで帰ってくるのではなく、しっかりと仕事をし、場合によっては他の人の仕事の割を食ってまでそれを片付けていたようだった。休みも少ない。だから小さな頃の僕は本当にたまにしか父と遊ぶことができず、だからたまに遊んでもらえる時が本当にうれしかった。
 そんな父が仕事に行かなくなった。多くは二日酔いが理由だろうがとにかく起きてこない。母の葬儀、初七日が終わり僕が学校に復帰してからというもの、僕は閉じられている和室の襖に向かって「行ってきます」と告げて出かける。そんな毎日だ。もちろん中から返答はない。そして僕が帰ってくると父はまた酔っている。正直心配になるがどうしていいのかも分からない。
 しかしそれも仕方がないのかもしれないと思う。父は、母が亡くなってから数日をほぼ泣き通して過ごした。母の遺体にすがって泣き、葬儀の準備はほとんどを母の妹夫妻に頼り切り、通夜ではお棺にすがって泣き、葬儀での挨拶はなにを言っているのか訳が分からず、火葬場ではその場に座り込み、母の白い骨を見てはさめざめと泣いた。そんな父を見てヒソヒソと話す声が聞こえ、息子としてはやや情けなくもあったが、それでも、父のその気持ちはよく分かると思えた。
 恐らく父にとっても、母は母だったのではないだろうかと想像する。真面目で大人しかった父だが、時々変なことで癇癪を起こすことがあった。例えば僕が玩具で家を傷つけたり汚したりすると突然激しく怒り出し一旦手がつけられなくなる。そして神経質に汚れを拭き取り、傷を完全に修復しようと試みるのだ。そんな父をピシャリと諫めるのはいつも母だった。父に比べ大らかというか、あまり細かいことを気に病まない母はいつも笑っていた。そして、時々暴走してしまう父を完全にコントロールしていたように思い出される。母は、間違いなくこの家のお袋さんであり大黒柱だったのだ。
 だから父の荒れようはよく分かる。きっと父にとっては、自分の妻と母の両方を同時に失ったような心持ちなのだろう。今の父の様子を見ながら、息子ながらそんな風に思えた。
「それにしても…そろそろなんとかしなきゃな…。」
「えっ? なにを?」
 つい口をついてこぼれ落ちた僕の言葉を聞いて反応したのは笹原薫。同じ高校、同じクラスで、約9ヶ月前からつきあっている彼女だ。最近ではすっかり女房気取りで、平気でうちに泊まるし母の生前はお袋とも馬が合った。
「なんとかなるって。」
という、いつもほぼ反射的に発せられるいかにも根拠の薄そうな彼女の口癖は、そういえばお袋に人間としてのタイプが似ていると言えなくもない。
「お父さんの…こと…?」
 僕の独り言に、いつものように元気に反応してしまってから、ややトーンを落としてそう聞いた彼女は、母が亡くなってからうちに起こっていることをよく分かってくれている。
「あ…、ごめん、そうじゃなくて、お袋の遺品ね、まだ全然片付けてなくて…。」
 あまり心配をかけてはいけないと咄嗟に思いついたことを口にする。言いながら、頭の中に家の中の状況が思い浮かんだ。2階と中2階のある3LDKにロフトと半地下の小さな納戸がついた家に今は二人暮らし。お袋の遺品も別にそのままでもいいような気がしつつも、その反面、そのままにしておいてはいけないような気もしていて、正直どうするべきなのかよく分からないままそのままの状態になっている。
「そっか…、やっぱり片付けなきゃいけないんだね…。…なんか淋しいな…。」
 薫のその言葉に返す言葉も思いつかないまま、少し、無言で歩いた。
「おはよ〜。」
 校門が近づくにつれ知った顔が声をかけてくる。それにいちいちややぎこちない笑顔と言葉で返しつつ、結局その後言葉を交わさないままそれぞれの出席番号が書かれた下駄箱に向かって一旦分かれた。
「ねぇねぇ。」
 薫の下駄箱は僕の一列向こう側だ。薫の姿は見えない。彼女の声だけが聞こえる。
「うん?」
 小さめの声で応える。
「今度の日曜日さ、一緒にやらない? 片付け。」
 言いながら既に上履きに履き替えた薫がこちらの列から見える階段に向かおうとしていた。そして登りかけて振り返る。
「朝行くね。」


連載小説「空虚な石(仮)」をまとめて読む
1. 母(1)
1. 母(2)
1. 母(3)
1. 母(4)
1. 母(5)
2. 黒い人
3. 叔母
4. 父
5. 薫

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