2019/07/13
静岡県出身、造形家/演奏家。
農業高校造園科卒業、美術音楽共に独学。
美術家、演奏家、パーカッション、ディジュリドゥ、ムビラ奏者。
20代前半人...
さぁ何処へいこうかな。
ターザンをあきらめ西表島を後にした私は自動的に旅人になりました。
取り合えず八重山諸島をブラブラと竹富島 黒島 与那国島等歩いてみることにしました。
〜与那国島に渡る〜
与那国島(よなぐにじま)は日本最西端の島であり、国境の島と呼ばれてる。
日本の一番端っこと聞くとなんだか行ってみたくなってしまった。
与那国に行くのに週に1〜2便くらいあるフェリーに乗りましたが、波が荒く飛行機が無かった時代は渡ることが非常に困難だった事から「渡難(どなん)島」とも呼ばれています。
ということで島に着くころにはフラフラでした。
沖縄自体何処へ行っても美しいのですが、この島は別格でした。海の青 空の青がこんなにも違うものかと。感動とともに、まだまだ知らないことがいっぱいある事に感激しました。
この島にはヨナグニサン ヨナグニウマ 海底遺跡等興味深いものが色々とありました。
海で魚釣りをしていると腕に馬の入れ墨を入れたマー君と言うおじさんと出逢いました。そんなある日、明日馬を引くバイトしないかと誘われもちろん即OK!!
実はマー君はヨナグニウマが絶滅しそうと知り本土から移住し何とかヨナグニウマを絶やさない方法はないかと考えて牧場を運営している方でした。
昔は田畑を耕したり移動の手段として必要とされ人々と共存していたヨナグニウマも時代の移り代わりで激減していきました。
マー君がやろうとしている事は馬を通じて心を閉ざした子供たちや障害のある子供たちに何か伝わるのではないか等を当時から模索しているようでした。
そうすることでヨナグニウマにとっても生きる場所が出来るのでは等そんな話をしていました。
その甲斐あってか、今では観光や動物療法にも利用されているようです。もともと人なつこい性格の馬なのでそれも良かったのだと思います。
ヨナグニウマは日本の在来馬で体は小さく比較的穏やかな性格でとても魅力的でした。
マー君のところでは手綱(たずな)は一本手綱で鞍や鐙はなく背中に座布団を敷いただけの裸馬に乗馬するというスタイル。
公道を馬で走ったり一緒に海で泳いだりもしました。
裸馬は膝や足首でしっかりグリップしないと振り落とされるのでかなり生な感じで楽しかった。
はじめて走らせた時は自分の足の間でもの凄いエネルギーを感じメチャクチャ感動しました。その時初めてバイクが何馬力との表記するかを理解しました。想像をはるかに超えた1馬力を体感することが出来、馬もバイクも更に大好きになりました。
また、結構泳ぐのが上手で尻尾につかまると引っ張っていってくれるのですが、海に入った瞬間気持ちいのか必ずフンをするので要注意。サライという雑誌が取材に来て海に馬と浸かっている写真載せて貰った事もありました。
本当に忙しい時にたまにしか手伝わないのですがそれでも結構色々な体験をさせてもらいました。当時すでに大工経験があったので馬小屋を作ったりもしました。
今考えると本当に良い経験をさせて頂いたと思います。
そんな中いったい自分は何がやりたいのか もう一度根底から考え直すことにしました。
時間はあるし気力も十分、だけど行きたいところが有るという訳でも無く…。
やがて、ただ色々な人と出逢いたいのだというという一つの結論に達しました。
その時、私の荷物から地図が消えました。
地図が無いのはいつも迷子状態なのかもしれませんが 言い換えれば行先が見えなくても気力さえあればどんな時も迷子にだけはならないという事を気付かせてくれました。
私の場合の気力の殆どは好奇心でした。
それは実生活でも応用がきき、おかげで未だにその感覚で日々生きています。
何処へ向かうかわからないというのはもちろん不安はあるけれどそれ以上に毎日が刺激的であり、ジャングルでの生活と同じように五感をフルに使い感覚は研ぎずまされ覚醒していく。
初めて訪れた場所であっても直感と今まで培った経験とそれに基づく知識を駆使して、食料を探す。海を知り、川を知り、山を知り 植物や生物を知る事でなんとなく見えてくることがある。どこに何がいて 何が採れるのか。何が危険で何が楽しみを生むのか、今ここで豊かな時間を送るにはどうすれば最良なのか等。
こんな風に書くと何かの修行のようだけど、ただ単に楽しくて仕方なかっただけでした。
もちろん楽しい反面危険もある。
森の中では毒蛇や動物 町での野宿は人が危険な時もある。そんな中で快適なねぐらを毎日見つける。
色んな状況を想定しながら旅をしたました。
そういった日々の積み重ねが感性を磨く事だとはこのころは全く考えてもみませんでしたが。
地図のない旅 (2)につづく
BRAIN II 「未来の記憶」より
【創作ブレイン】
自分の創りだす創作物は形や素材は違えどすべては僕の脳で繋がっている
生きてきた道は過去となり消えていくが過去と未来の狭間で形となり現れ
これから生きて行く道を切り開く
白砂勝敏
木彫刻 2012年制作 H24cm
静岡県出身、造形家/演奏家。
農業高校造園科卒業、美術音楽共に独学。
美術家、演奏家、パーカッション、ディジュリドゥ、ムビラ奏者。
20代前半人...
準備中