2019/09/25
静岡県出身、造形家/演奏家。
農業高校造園科卒業、美術音楽共に独学。
美術家、演奏家、パーカッション、ディジュリドゥ、ムビラ奏者。
20代前半人...
前回の続き
欽ちゃんとの再会を祝して飲み始めてしばらくたったころ、
この島には愛の8時間コースという約30kmのトレッキングコースがあると誰かが言った。
その話から誰かが調子に乗り、その上を行こう、今から歩いて島一周しようということになる。若気の至りというやつか。
その場には10人位いたと思うがその中から欽ちゃんと自分以外にもゆきっぺと少年(少年というあだ名)が一緒に行くという。
テントやバイクもおいて寝袋と最小限の荷物をかかえ出発しようとした時、向こうで話を聞いたんですけど私も一緒に行ってもいいですかとモロちゃんという子に声をかけられた。もちろんどうぞどうぞという事で5人で出発することになりました。
だけど既に夜中でしかも自分を含めモロちゃん以外はかなりの酔っぱらい。
多分出発して一時間もしないうちにモロちゃん以外はなんでこんなことになってんだと我にかえっていたと思う(笑)。
今ググってみると島一周60kmくらいでこの時は前半戦更に調子に乗って礼文岳にも登ったんで70kmくらい歩いたらしい。
もちろん島は舗装道路が一周通っているわけではない。約30kmは海岸や林道等のダートコースだった。
少年は当時19歳。高校3年の夏休みにバイクで初めて北海道に来て感動し、翌年、卒業して少しお金をためて改めてロングツーリングへ来ていた。ホンダのXL250だったと思う。実は少年と欽ちゃんとは新潟からのフェリーの中で出逢った。少年と自分は北海道に着いて数日一緒に過ごし、その後分かれたのだが偶然にも数日前に礼文島へたどり着いていた。ここでフェリーで出逢った欽ちゃんと少年の2人に再会したのである。
ゆきっぺは看護婦をやめてロングツーリング中。ヤマハのセローに乗っていた。若く見えるが一番年上で酒飲みで綺麗なねーちゃんだった。
欽ちゃんは酒飲みでバイクはホンダのクラブマンだったかな。自分より一歳くらい若かったと思う。
モロちゃんは大学院生で貧乏旅行しているのに凄い潔癖症。ストイックな性格で体は小さいのにでかいオフロードバイクに乗っていた。BMWのF650GSだったかな。
ストイックなモロちゃんはこれから島を歩く人がいると聞いてそれは過酷で面白そうだと思ったという。
酔っぱらってどれくらいの距離があるかも知らないのにその場のノリで始めたのが本当の所。
モロちゃん以外はストイックのスの字もないようなメンバーだった。なんにしても皆ちょっと変わり者だが純粋でとてもいい奴らだった。
何しろ勢いではじめた事なので持ち物は各自寝袋とカッパとライトと持ち合わせの食料とガスバーナー1台と鍋と飲みかけのお酒くらいだった。
暗いうちから礼文岳に登り始めたのだが、途中からはどしゃ降りにあい全員ずぶぬれ。頂上に着くも霧で何も見えなかった(泣)。
一番まいったのは全員ブーツかライダーブーツ。これでどしゃ降りの登山は滑る滑る。
下山の途中位から晴れたんで海岸で焚火をしながら荷物をかわかし海で体を洗ったり簡単な食事をしたりとハードな後のいい天気はサイコーなシチュエーションだったのをよく覚えている。
5人共それなりにサバイバルにも適応できそうな柔軟さを持っていたと思う。
そういうものは過去の経験や子供のころ育った環境なんかにも大きく左右されるのだろう。
急ぐ旅でもないのでチンタラチンタラ歩いた。
話好きなタイプがそろっていたのもあり面白おかしい珍道中だった。
そもそも一人旅をしている時点で何かに飢えている事は明白なのだからお互いが刺激しあい、体はハードでボロボロだったけれど、心はあったかい感じだった事を今でも記憶している。
途中バス停や建物の軒先で野宿したりしながら結局2泊〜3泊し大したケガも無く無事歩き切ることが出来た。
何より意外だったのはキャンプ場へ戻った時、
そこにいた全然知らない人たちが凄いことをしたねみたいに皆でお出迎えしてくれた。
ただでさえやっと終わったと感極まっている所へ。
皆さんのおかげで更に感動的なフィナーレを迎える事ができた。
(皆さん出発した状況を知っているので本当に心配してくれていたらしい。感謝)
後日、色々と話を聞くと自分も行けばよかったと思ったという人が何人もいた。
そして数日後、数人のグループが新たに出発していった。
幾つかの偶然とその場のノリみたいなものが見事に絡み合う不思議な感覚を5人共感じていたと思う。そこまでくると縁というか絆という方がしっくりくるような感じである。当然その後の人生でも色々と関わってくる。なるほど縁を育んで行くと絆が生まれるんだとこれを書きながら腑に落ちた。
BRAIN I 「キノウミタリュウ」より
【逢いたい】
いつも乾いてた 何をやっていても
何処か虚しい時間が過ぎた
本気で生きるって事が解らなかった
それでもずっと求めてた
ある時 からっぽの自分と本気で向き合い
何かを探して旅に出た
地図なんて要らなかった目的地も必要なかった
そんな物はたいして重要ではなかった
ただ色んな人に逢いたいと思ってた
たった一つの言葉が交わり通じ合うことがあった
歳も育った環境もちがう赤の他人と…
鳥肌が立った
ただそれだけで良かった
すべてを捨ててここまで来た甲斐があったと
それは俺の中で宝物になった
宝物は人生の貯金として溜まり
それは使い方を覚えると使えば使うほど増えていく
そして人生自体が旅なんだと気がついた
白砂勝敏
ある一定条件が揃った時 休眠は解除される
その時を知っているのか 感じているのか
種はいつも最良の時を 知っている
休眠の解除(発芽)を願い種をまいた
セミの抜け殻 砂 種
静岡県出身、造形家/演奏家。
農業高校造園科卒業、美術音楽共に独学。
美術家、演奏家、パーカッション、ディジュリドゥ、ムビラ奏者。
20代前半人...
準備中